日大アメフト選手による危険タックル問題。まだまだ収束しそうにありません。
問題が発生して以降、日大選手の記者会見、監督・コーチの記者会見、日大学長の記者会見といった一連の流れを見ていると、世間の常識を逸脱した日大側の最悪の対応が浮き彫りとなってきます。
しかし、このおかしな一連の流れは、どこかで見たことがあるなと思っていたら、「ヤクザ映画」に悲劇的なまでに似ています。それでも、希望の光はかすかに見え始めています。
「ヤクザ映画」にはパターンがある
映画にはいくつかのジャンルがありますが、その中でも、洋の東西を問わず、根強い人気を誇っているのが日本の暴力団や外国のマフィアを扱った映画です。
『仁義なき戦い』からVシネマ『天下統一』、ビートたけし主演・監督の『アウトレイジ』、はたまた『ゴッドファーザー』にいたるまで、ホントに好きでよく観ています。
『水戸黄門』に代表される時代劇には、ストーリーに一定のパターンが見られるように、これら「ヤクザ映画」にも一定のパターンが存在します。
今回の日大アメフト選手の危険タックル問題の一連の流れは、「ヤクザ映画」に悲劇的なまでに似ていることに気づきました。
「鉄砲玉」
映画では、対立する組織どうしの抗争の中で、「鉄砲玉」という存在がつきものです。
「鉄砲玉」とは、抗争相手の組織のトップなど要職にある者を葬り去る役割を与えられた者。ヒットマンと同じとも言えますが、その名の通り発射されると最後、決して戻ってこないことを前提とした役割です。
そこで、日大アメフト選手の記者会見です。
「監督から相手のクオーターバックを1プレー目で潰すなら試合に出してやる、と言われた。その間、練習からも外されていた」
「試合当日、メンバー表に自分の名前がなかった。ただ、"自分が相手を潰しますと監督に言えば試合に出してやる"とコーチに言われた」
「潰せば秋の試合でも得だろう、と言われた」
「試合直前、コーチから"やっぱり出来ませんでしたじゃ済まされないよ"と念を押された」
そして、『仁義なき戦い』のあるシーンです。
「お前があいつをやってくれたら助かるんじゃがのう」
「ここらで男ならんと、もう番は回ってこんぞよ」
趣旨としてはほとんど同じです。指示・命令を下す側が、「それをやることが組織全体のためになること」を強調し、「やらなければ自分に居場所がなくなること」を理解させること、の2点を強く押し出すことも、悲劇的なまでに似ています。
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面倒はみる
組織の命令に従ってことを実行した者の面倒をみることが原則です。
特に、「鉄砲玉」となって行方がしれない者の家族などに対し、組織のトップが生活費その他過分の面倒をみます。
その際、そのトップは家族に、何がどうなって行方がわからないのかなどの詳細な説明せず、黙って大金を置いていきます。
「何で、いなくなったのか教えてください」と泣き叫ぶ声を背に受けて煙草を吹かすシーンは名シーンの1つに数えられるものです。
日大選手の会見後に、正式に会見した大塚吉兵衛・日大学長は、内田・日大アメフト部前監督から反則行為の指示があったかどうか等の核心部分への明言を注意深く言葉を選びながら避けていました。
一方、加害側の選手については、「早く授業に戻れるよう学部が対策を考えている。本人の意向があれば卒業後の進路まで力を注ぐ」とかなり具体的に踏み込んだ発言をしています。
問題の核心には触れず、選手・学生の今後は手厚いサポートを明言する。これもまた、悲劇的なまでに似ています。
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「共謀共同正犯」
映画では、たまに「鉄砲玉」が警察に逮捕されることがあります。警察は逮捕した「鉄砲玉」を締め上げ、親分の指示があったことを白状させます。そして、親分も逮捕されます。この時の罪状が、「共謀共同正犯」です。
「共謀共同正犯」とは、犯罪を共謀して計画、命令などをした場合、実行に加わっていなくても正犯として罪に問われることをいいます。現場にいなかった首謀者などで、実行犯より重い刑罰となることもあります。
つまり、親分の指示で犯罪行為におよんだことが実証されれば、その行為に加わっていなくても親分は逮捕され、「鉄砲玉」よりも重い刑罰を受けることがあるということです。
今回の問題では、被害者側の関学大選手が被害届を警察に提出し、受理されています。すでに警察は日大本部を訪れ、関係者から事情を聴取しています。
加害者側の日大選手も責任を負わねばなりませんが、日大アメフト部の内田前監督とコーチが罪に問われるとすれば「共謀共同正犯」ということになりそうです。
その場合、警察はまず実行犯である日大選手を逮捕し(可哀想でなりませんが)、事情を十分に把握した後、内田前監督の逮捕という手順になるものと思われます。これもまた、悲劇的なまでに似ています。ただ、前監督の方が罪が重くなる可能性が大だという点のみ、救われる思いがします。
ダラ幹を排除して新組織
映画では、「鉄砲玉」の面倒もろくにみることをせず、「義理と人情」とは無関係の欲まみれダラ幹(ダラけた幹部)を排除して、自分たちで新しい組織を立ち上げることがよくあります。
「クーデター」「謀反」「政権交代」などがタイトルに踊る、一連の映画のモチーフです。ダラ幹の排除といっても犯罪行為に変わりはないのですが、悪党なりの正義感で導かれた行動は、観る者をスカッとした気分にさせてくれます。
今回の問題では、日大のアメフト部員たちが、コーチ陣の一新を求める声明文を発表するとのことです。チームを改革していく上で、指導体制を変えることが必要だと判断したといいます。
ダラ幹を排除して組織を新しく生まれ変わらせるというわけですから、これもまた似ています。
ただ、これは是非とも成し遂げて欲しいです。アメフトを愛し、アメフトを楽しみ、互いに切磋琢磨できる真のスポーツマンシップに則った新生日大アメフト部を作り上げて欲しいと念願します。
そして、「アメフトをする権利がない」と言ったあの選手も、(場合によっては罪を償った後に)再び、アメフトを愛する仲間として迎え入れてほしいものです。
おわりに
「ヤクザ映画」と似ているといって茶化すつもりはありません。
問題の核心は日大の指導者たちが自己保身のために真実を隠蔽し、一選手・学生に責任を押しつけようとしている姿に対し、私なりの批判をしてみました。
そして、そういう情けない心ない指導者連中が排除され、新しい組織が出来上がることを願って執筆しました。
日大の指導者連中には自己改革能力はゼロですが、アメフト部員たちは自己改革に向けた歩みを始めました。希望の光がかすかに見え始めました。この取り組みに大きな大きな拍手を贈りたいと思います。
以上、『日大アメフト部は「ヤクザ映画」に悲劇的なまでに似ている。それでも・・』でした。