とくなが久志奮闘録

日々の生活や仕事のなかで考えたことを、ふんわりと書き連ねていきます。

燃える男 星野仙一さんが逝く

f:id:naga-aya-omiya:20180131162941j:plain

「燃える男」星野仙一さんが、4日午前、膵臓がんで亡くなられました。

プロ野球の中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の監督を務められました。私は大の阪神ファンですので、何と言っても、2003年の優勝監督のイメージが強く、歴代監督のなかでも好きな監督の一人です。

阪神監督時代 ピカイチのインタビュー

2001年オフ、野村克也監督が夫人のスキャンダルで辞任しました。その際、後任については、「阪神はおとなしいぼんぼんの選手が多いから、殴って叱れる人がいい」と阪神球団幹部に話したそうです。

そこで、星野仙一の名前が出てくるわけです。同じ年に中日の監督を辞任していたとはいえ、すぐに阪神の監督なんて引き受けるわけがないと思っていました。

当時の阪神は最下位が定位置の暗黒時代。「星野なら建て直してくれるかも」とわらをもつかむ思いで祈っていたところで、監督就任を快諾され、すでに優勝したかのような錯覚に陥ったことを覚えています。

しかし、現実は甘くなく、2002年のシーズンは4位に終わりました。それでも前半戦は首位に立つなど、星野采配が際立つ場面が多かったように思います。

特に、試合後のインタビューはピカイチでした。東京ドームで宿敵巨人3連勝した際の勝利監督インタビューでは、「監督、巨人に3連勝で関西は大騒ぎになってますよ」とマイクを向けられると、「まだまだ騒ぎ足らんよ。もっとやらんかいっ!」ファンの心をわしづかみにするとはこのことです。

f:id:naga-aya-omiya:20180131163016j:plain

大型補強でみせた人脈の太さと2003年優勝

2002年のオフは大型補強を行いました。そこで見せつけられたのは、国内外の人脈の太さです。広島からFAで金本知憲(現監督)を、メジャーからは伊良部秀輝を獲得しました。

広島からFA宣言していた金本には当然、数球団から獲得の意志が伝えられていました。直接交渉に自ら臨んだ星野監督は金本に、「阪神は超金持ち球団やから、年俸は他球団とは比較にならんぞ」と口説いたそうです。でも、実際、阪神が提示した金額は他球団より下だったのですが。このあたりの茶目っ気ぶりが、金本の心を動かしたのかもしれません。

また、伊良部は米国メジャーで活躍していましたが、国内復帰の情報をどこよりも早くキャッチし、真っ先にアプローチして伊良部本人を驚かせています。すごい情報網をもっていたということでしょう。

2003年はこうした大型補強が功を奏し、18年ぶりのリーグ優勝となりました。続く、ダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズでは3勝4敗で敗れ、監督退任ということになりました。

燃える男の優しさ

前任の野村監督が期待した「殴って叱る人」通りではなかったように思います。確かに、エラーが出るとベンチで椅子を蹴り上げ、前方にすわっていた選手の顔が青ざめるというシーンは何度もありました。

ただ、采配にミスがあった場合には、選手全員の前で「俺が悪かった。すまん」と深々と頭を下げたようです。また、チャンスで打席に立つバッターの頭に手を置いて、「嫁はんに、ええとこ見せたれや!」と声をかけていました。まさに、男らしい優しさといえるでしょう。

現役を引退して解説者となった金本や矢野燿大(現阪神二軍監督)、赤星憲広らは、星野さんと一緒にテレビで解説する際、「星野さん」とは言わず「監督」と言っていました。彼らにとっては、星野仙一はいつまでも「監督」であり、教えを請う存在なのでしょう。

今でこそ、Aにクラスに入り、優勝争いにも少しだけ顔を突っ込むようになっているが、それも星野がその素地を作ったからだといえます。金本は監督、矢野は二軍監督なのですから。

燃える男の優しさ。強面の気配り。熱血漢の人情家。

もうあの熱い解説も聞けなくなるのかと思うと、寂しくてしかたありません。

心よりご冥福をお祈りいたします。